Hopeless Diary

希望を失った若者の日記

2019年10月15日(火) 24時に散歩へ出かけた

今日はたぶん11時くらいに目が覚めた。

すぐに起き上がることもなく、布団に寝転んだまま、ただ天井を見つめていた。

天井の木目が幼い頃からずっと、人間の骸骨の頭に見えている。

その骸骨は正面を向いているわけではなくて、ちょっと斜めを見つめている。

それを縁取っているのが木の模様だということもあって、どこか古い絵のようなタッチである。

がしゃどくろ、みたいな。

小さい頃は天井のがしゃどくろが怖くて、仰向きに寝るのを避けたりもした。

 

intojapanwaraku.com

 

とりあえず起き上がり、顔を洗う。

洗面台の鏡と向き合って、今日こそは髭を剃ることを決意する。

野菜ジュースを飲んで、録画した番組を観た。

『ゴッドタン』を観て、久しぶりに涙が出るくらい笑った。

声は出ないから、空笑いだった。

それでも、心はだいぶ晴れた。

 

video.tv-tokyo.co.jp

 

食欲がなかったけれど、お腹は空いてきた。

「無理して食べなくてもいいかな」と思ったが、結局食べることにした。

お昼ごはんを食べながら、「久しぶりにラジオ聴こうかな」と思う。

あれほど好きで聴いていた深夜ラジオを、私は一か月ほど聴いていない。

録音してあるから、聴こうと思えば聴ける。

聴くならゲラゲラ笑いながら聴きたいのだけれど、今の私はそれができそうにない。

小説を読んでいる時のように、電波の向こうと現実の自分の間で、往復運動が起きてしまいそうだ。

眩く楽しそうな「向こう」と、暗くむなしい「こちら」を比べてしまう。

結局、ラジオを聴くことはしなかった。

食器を洗う。

 

パソコンを起動させて、昨日の日記を書いたり、クレジットカードの引き落とし額を確認したりした。

収入が途絶すると考えていなかった当時の私の消費活動が、画面に表示される。

とはいっても、使った額は15,000円にも満たない。

これからはもっと少なくなる、あるいは使わなくなると思う。

お金のことでいえば、私が目下恐れているのは、来年の四月がやってくることだ。

国民年金を仮に一年分まとめて前納するとすれば、200,000円が一気になくなる。

我慢を続けてきたおかげで、払えてしまいそうではある。

だが、そうなると貯金の大半が吹っ飛ぶ。

それまでに新たな収入を確保しないと、にっちもさっちもいかなくなってしまう。

そのことを思うと、「休んでる場合じゃない」という思いが強くなっていく。

すると、「休む」ができなくなる。

未来に対する不安が顔をのぞかせる間は、真に「休む」ことができそうにない。

大変である。

 

今日は本を読む気にもなれず、それゆえか、何をして過ごしていたのかをはっきり覚えていない。

気づくと陽が暮れていた。

お風呂の準備をする。

湯船にお湯が張るのを待つ間、ヨーグルトを食べたり、乾いた食器を片付けたりした。

お風呂に入り、歯を磨く。

タンブラーに白湯を注いで、布団に横たわった。

晩ごはんは食べなかった。

 

ラジオを点けて、『荻上チキ Session-22』を聴いた。

私は、ニュースの類から意識的に遠ざかっている。

なので、私がこの世界で起きていることを知るのは、この番組を通してだけだ。

  • 台風19号の被害
  • 台東区で野宿者の方が避難所への入場を拒否されたこと
  • ある党の政治家が台風被害に関して「まずまず」という発言をしたこと
  • シリア北部での紛争

何もしていない、何もできていない私がどんな物言いをしたところで、それこそ何にもならない。

けれど、悲しい。

でも、この悲しい気持ちも、悲しく思えるだけの余裕の上にあるのかと思うと、ひどく軽薄な、うわべだけのものに思える。

 

24時に散歩へ出かけた。

夜の住宅街はひっそりと静まり返っている。

一戸建てやマンションの一室の窓から漏れる明かりだけが、そこに確かな人の暮らしがあるのだと、私に知らせる。

外気は半袖にパーカーを羽織っても、肌寒さを覚えるほどになった。

道に人影はほとんどない。

車道も、たまにタクシーが通りかかるくらいだ。

「パトロール中です」という紙が貼られた交番が、闇夜にぬうんと浮き上がっている。

街灯は、誰もいない一方通行の道を健気に照らし出す。

私はただひたすら歩く。

暗闇に包まれた小学校を見て、以前と変わらず「白い牢獄だな」と思う。

ガラス扉に浮かび上がっていたのは、老人ホームのエントランスだった。

ガラス張りのバーを外からのぞくと、4人のお客さんと1人の店員さんがカウンターを挟んで楽しそうに会話をしていた。

坂道を下ると、大きな通りに差し掛かる。

そこを渡って、今度は上り坂だ。

坂の中腹にある銭湯は、この時間でも営業しているらしかった。

通ったことのないわき道に入ってみる。

ますます静まり返る街は、私の心を穏やかにさせる一方で、不安にもさせた。

耳に挿したイヤホンから、星野源のEP『Same Thing』の4曲が繰り返し流れる。

リズムに合わせてステップを刻んだり、その場でターンをしたり、私は踊る。

道端に寝そべる猫が、私をまっすぐに見つめてくる。

民家やマンションのカメラは、踊る私を監視している。

完全に不審者だろう。

泥棒に入るつもりもないし、通り魔でもないし、法に触れることは何もしていない。

昼間は自由に踊れる場所がろくにないこの街で、だからこそ、人気のない深夜の街で、ただリズムに合わせて踊っているだけ。

それだけなのに、こんなにも息苦しい。

世界に押しつぶされてしまいそうだ。

住宅街を抜けると、ある大学のキャンパスの前に出た。

一つの通りを間に挟み、左右がその大学のキャンパスだ。

闇夜にそびえたつ校舎のビルが、やけに不気味だった。

昼間は活気に満ちている建物も、深夜になると途端にがらんどうになる。

心なしか早歩きになり、しばらくまっすぐに歩き続けた。

大きな池が目の前に現れる。

視界が一気に開ける。

空が広い。

でも、星はほとんど見えない。

月明りでさえ頼りなさげだ。

なぜなら、ここは東京だから。

星よりも、月よりも、地上の光のほうが近くて眩い。

東京という街が放つ光は、空に浮かぶ雲をやけに白く際立たせる。

池の周囲をぐるりと歩く。

一定の間隔で設置されているベンチには、たまに人がたたずんでいる。

たいていは一人、あるいは二人組だ。

ジョギングやランニングをする人とすれ違ったり、追い越されたりもする。

風が池のほとりの木々を揺らし、そのたびに心をざわつかせるような音を発した。

ひとしきり歩いた後、最短距離で自宅まで引き返す。

その途中、自動販売機でキャラメルカフェオレ(?)を買って飲んだ。

下にまとわりつくような甘さだった。

イヤホンから『私』という曲が流れる。

「星野さん、本当に勝手なお願いだけれど、虚無に屈しないでください。どうかお願いします」と思う。

「クソみたいな世界だけど、いつか会う時は、笑顔で会いましょう」という言葉を、また聞かせてほしい。

帰り道は、行きよりもさらに静かだった。

時間は25時を過ぎているのだから、当然だ。

坂の中腹の銭湯が閉まっている。

ガラス張りのバーはまだ開いていて、中にお客さんが2人いた。

老人ホームのエントランスの明かりは消えている。

夜明けに備えて、街が、人が緊張をほどく。

でも、緊張をほどくのは「外」じゃなく、「内」でだ。

そのせいかもしれないけれど、外には「人が消え去ったゆえの緊張」という、不思議な空気が満ちている。

公園の時計が、26時を告げた。

 

帰宅して、布団にもぐる。

 

2019年10月15日(火)の生きていたくなさ:unknown