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カテゴリーで人を判断しそれに基づいて好嫌の選別することを、私は忌避したい。
だが、これまでの人生とその中で経験してきたことで、私は特定のカテゴリーに分類される人間に対して、ほとんど反射的に嫌悪感を抱くようになった。
頭や理性では「やめたい」と思うのだけれど、「染みついてしまったから仕方ないのかも」とも最近は思うようになった。
私は年老いた人間と男性が嫌いだ。
この二つを共に持ち合わせる人間に対しては、より大きな嫌悪感を覚える。
これまで生きてきた中で、これらのカテゴリーに属する人間から「言葉」ではなく「力」で対応されてきたことが多かったからだと思う。
一方的に他者を怒鳴りつける、ゴミのような人間がいる。
彼らが発している音声がたとえ言語として解せるものだとしても、私からすればそれは言葉ではない。
言葉とは、対等な者同士が平和的に意思疎通を図る時に使われるものだ。
私はそう思っている。
言葉を感じられる機会は、私が思い描いていたよりもずっと少なかった。
残念で仕方がないけれど、本当に少ない。
「言葉は無力だ」なんてつまらないフレーズが思い浮かぶ。
それはそうだろうな、と思う。
言葉は、言葉を使う者同士の間でのみ有効なのだ。
言葉を使わないものが多ければ、当然言葉に効力はない。
そういう私自身が言葉を使えているのか、それは分からない。
ただ、できる最大のかぎりにおいて使いたいと常々思っている。